第156話 だから人生は面白い
いよいよ4月になりました。この時期は入試の発表も終了して入学の準備が始まっていますので、どうしても勝者と敗者がはっきりしてしまうものです。自分はどちらも経験しましたので、特に敗者の気持ちは痛い程わかります。勝者の皆さんは敗者の方の分までしっかり学業に励んでいただきたいと思います。そして敗者の皆さんは、今回の悔しさをバネにこれから頑張っていただきたいと思います。ただ何を持って勝者、敗者と区別するかは難しいところではありますが。
そこでいつも思うのですが、勝者になった人の人生が素晴らしいかというと、必ずしもそうではないということです。お恥ずかしながら自分は2浪の後に医学部に合格しました。ところが最初から医学部を目指していた訳ではありません。その当時は工学部がもの凄い人気でして、何となくエンジニアになるのだと思って、ひたすら工学部を受験していました。しかも、県外に行くことを希望していましたので、地元には見向きもしませんでしたがその野望はあっけなく消え去ってしまいました。さすがに1浪で臨んだ受験に失敗した時はこれからどうなるのかなと思いましたが、幸い一緒に2浪生活を過ごした同級生が数名いましたので、救われました。この時点ではいわゆる敗者ということになるでしょうか。
2浪した後も工学部を目指していましたが、もう一度自分を見つめ直す時間が出来たことがその後の人生を決めたのかもしれません。なぜ工学部なのか、県外なのかそこから考え直しました。といっても深刻に考えたことはあまりなかったのですが、いつの日かふと医者になろうというのが頭の中に思い浮かびました。両親をはじめ誰にも相談することもなく決めましたので、周囲はびっくりしただろうと思います。自分もなぜそう思ったのかは今持ってわかりませんが、1浪で合格していたら自分の人生も違ったものになったに違いありません。受験の結果は1次試験を失敗しましたが、2次試験で挽回して何とか合格することが出来ました。実は他の大学を受験していませんでしたので、落ちていたら再び浪人が決まっていました。ここでは勝者なのでしょうが、今振り返ると何だか恐ろしいことをやったものだと思います。
その後は大学を卒業して小児科医を志し今に至っていますが、本当は循環器内科にも憧れていました。テレビとかで見るとカッコよく見えましたが、野球部の同級生が行くことになったのもあって自分は小児科の門を叩きました。その同級生も今回宮崎大学の教授に就任することになりましたので、自分はいかなくて正解だったのでしょうね。小児科医にならなければ、当然開業もしてなかったのだろうと思います。
こうやって受験からこれまでの人生を振り返っても、いろいろな分岐点がありました。1浪で大学受験に成功していれば、今頃自分は何をやっていたのでしょうか。間違いなく医者になってはいませんでしたので、このコラムを書くこともなかったと思いますし、皆さんに出会うこともなかったと思います。個人的にはいろいろなお子さんや保護者の方と出会い、いろいろな話が出来るのは今にして思えば良かったと思っています。
自分でさえこんな感じでしたので、今受験に失敗したと悔やんでいる方も多いと思いますが、失敗が長い目で見たらプラスに働く可能性だって十分あります。いや、むしろその方が多いかもしれません。人生ってよく出来たもので、みんなにいい事も悪いことも平等に降りかかってくるようになっているのだと思います。幸せなんて人それぞれ、何が幸せなのかは誰にもわかりません。失敗は絶対に人を大きくしてくれますので、頑張れば必ずいいことがあると信じて前に進んでいきましょう。
【令和3年4月】
よしもと小児科 吉本寿美